特殊な存在を「普通」と受け入れられるようになった人生

生活・季節のテーマ
Respect and praying on nature background

全てが変わった日から早くも5年が経過しようとしている。

今こうして会社を辞め、専業のアフィリエイターとして多くの人と繋がり仕事をさせてもらっているが、すべての始まりは思えばここだったと思える出来事。

長男として生まれた子供が、先天性の心疾患(ファロー四徴症)を患い、度重なる手術の過程で脳性まひとなり五体不満足な状態になってしまったこと。

こうして今振り返ると5年というのは長くもあるが、当の本人にとってはそれ以上に過酷で長い月日を感じているのだろう。

当時は受け入れられなかった自分がいた。

私自身は人並み以上に健康体であったこともあり、まさか自分の子が・・・という思いは隠せなかった。

病院や移動において、人前に出る時は無意識に周りの「視線」を気にするようになってしまっていた。

子供の顔を隠すように抱え込んで移動し、傍から見たら小さく卑屈になっていただろう。

きっとまだその時は、自分の子供ですら特異な目で見てしまっていたのだ。

今までの人生において、こうした障害を持つ人に対しては興味すら示さず、腫れ物を見るような感じであえて私がかかわることは無いと思っていた。そうした人に出会っても、ただ驚き、哀れみ以外に感情は出てこなかったと思う。

しかし、子供との生活は私の意識を変えてくれた。

自力では何もできず、声も発することはできない。しかし「生きている」。個性があり感情がある。

今まで特殊であると思い込んでいたものは決してそうではなく、「普通に」当たり前のように堂々として同じ時を刻み生きている。

今まで私には見えなかったものが今は見えるようになり、少なくとも私の中では大きく世界が広がった。

今こうして子供に目が届く場所で仕事をしながら、人並みに生活をさせてもらって、今まで以上に多くの人脈と仲間ができたことも子供に感謝する以外ない。

こんなおりに、ツイッター上の繋がりの中でhand&footというサイトが目に留まった。

抱えているものは違うけど、この子たちの見るものや聞こえるものはきっと同じ。親として抱いている感情も似たものがあると思う。

こうした取り組みはとても貴重だと思っている。なぜなら個々の発信力はとても小さいうえに、外に発信をするという発想にはなかなか至らないから。仲間内で小さなコミュニティを作ることはあるが、結局それは今後世に出る子供たちではなく親のためのもの。真の当事者である子供たちを思うほど意義のあることに他ならない。

もしかしたら、見る人によってはサッと流し読みしただけで頭からは忘れていく人もいるかもしれない。私も自身の経験がなければ、こうした世界を見ることは無かったし、あえて興味を持つようなこともなかったかもしれない。それくらい難しく時間もかかるものだと思っている。

でも、一人でも多くの人が情報に触れ、一人でも心動く人が出てくれば、もうちょっとこの世は暖かくなるのではないかと思う。

ここまで多くの文字を書いているわけではないが、誇張なしに涙でキーボードを打つ手がしばしば止まった。悲しみでも、哀れみでも、苦痛でもなく、こうした取り組みに目を逸らさずに応援したいと思える今の感情に。

運営者の方とは面識があるわけではないですが、今のアフィリエイトという共通のビジネスの先輩でもあり、勝手ではありますが応援をさせていただきます。

この記事を見てくれた人の「世界」を広げるきっかけに

NPO法人hand&foot

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