子供が教えてくれたもの…最期の時が教えてくれた生きる意味

課長の頭の中
View From Stratosphere - Photo taken from the airplane to 120000 meters

2017年5月3日、私は高速道路を飛ばしていた。

澄み切った初夏の乾いた横風に煽られ、2メートルもある背の高いワゴン車を波立たせながら、それをものともせず1つの目的地へと向かった。

辿り着いた先に待っていた現実は、人工呼吸器を外され、静かに止まった時の中で眠る息子岳斗の姿だった。

いつも自宅のベッドでポケーっとしているあどけない顔そのままだ。

そっとまん丸な頭を抱え、変わらぬ重みを腕に感じたとき、かけてあげる言葉はもう決まっていた。

「ありがとう」

6歳の誕生日を目前とする人生ながら、多くのことを私に教え、私の生き方そのものを変えてくれた。

短くも普通にはあり得ない凝縮された人生を歩んだ息子の生きざまと、我々に残してくれた生きる意味とは何だったのか?

未だ廻る意識の中で、息子と私という存在を振り返った。

 

2011年7月、生まれて2か月で先天心疾患(ファロー四徴症)が発覚し手術。

以後根治の手術の過程で、度々生死をさまよい、脳性麻痺で5体不満足となる過酷な宿命であった。

自分の意志で動かせる部分はごくわずか。言葉も失い、ただ懸命に1日を生きる息子と命をつないでいた妻。

一人ではこの先どうすることもできない、必死でもがく姿を目の当たりにして私は生き方を変えることに決めたのだ。

自由の利かないサラリーマンと決別し、子供に時間をかけながら自宅で仕事もできるスタイル。それを可能にしてくれたのが、当時出会ったアフィリエイトであった。

会社を辞めて、法人化するまえに付けた屋号はGKアドサービスだった。岳斗のガクでGK。それくらい私の中心たるものだった。

私の中では大きな賭け。その賭けに2つ返事で乗ってくれた妻と子に後押しされ、人生で初めて本気になった。

どこかの記事で書いたが、独立当初はそれこそひと夏に3回脱水で倒れ、シャワーで水被ってからまたPCに向かっていた。

ここまで駆り立てられたのは、ただ自身の生活が危ういからではなかった。

私や妻は良い。たとえひもじくとも生きながらえていけるだろう。しかし、この子はもう一人では絶対に生きられなかったからだ。

岳斗が不自由のない生活をし、家族で静かに生活を送ること。それが今の私を作り上げた唯一無二の動機だった。

今までは自分のために仕事して、いかに自分の時間を作るかに盲進していたかがわかった。初めて誰か大事な人のために、この身を投げうたんとしていた。

本業の話を挟むが、誰かのために役に立つ情報発信するという基本的なことが、計らずともできていたのかもしれない。

自分本位に記事を書いていた始めた当初とは異なり、サイトを作るということにおいても、考え方の変化はでていたと今では思う。

初めてアフィリエイトを教わった時、マインド的な部分で「お金以外の目的」と「自分以外の誰かのために頑張る」この2つが重要であると言われた。

私は自己啓発本の類はほとんど読んでいないが、単調で先の見えない作業の連続を乗り切るのに、この2つがあれば十分なのだと思っている。

 

小さな幸せのサインに気づけるかどうか

障害を持った子供の出すサインは本当に小さなものだ。

意識して気付いてあげなければ一瞬で見逃す。我が子であろうと、行動を理解して目を向けなければ分からないほど小さな小さなものなのだ。

これってビジネスにも通じるよなぁと。どんないい話も、興味を持って、愛を持って、前のめりに(行動)していなければチャンスって決してつかめないものだから。

幸せもチャンスも、小さく気づきにくいものを自分で掴むものなんだな。

運にも恵まれ事業は軌道に乗ってくれた。サラリーマンの頃の年収が毎月入るような、普通に考えれば異常な状態だ。

それでも不思議と物欲はあまりなく、車やカメラとか仕事に使う物は買ったが、高級時計も持ってないし服も適当。

私は法人化して3期目を迎え、人を雇うにも十分な余力はある。しかし色々言い訳しつつ組織化に後ろ向きだったのは、根本に岳斗中心の生活があったからだ。

住み家もこだわらない。ただ、岳斗の通院に利便性が良い場所で、柔軟に対応できる場所に居を構えればそれでいい。

常に考えの軸となる基準ができていた。

いついかなる時も、最優先決定事項は何で、何のために仕事をしているのかは明確だった。

ぶれずに行動するとはこういうことなのではないかと思う。

道の半ばで、手法や手段が変わるのは問題ない。ゴールから逸れなければいいのだ。ただ、多くの失敗する人は手法や手段の変更とともに、ゴールも変わってしまうのではないか。

甘ッちょろい人間が、6年もこの仕事を続けてこれたのも、息子の存在を抜きにしてはありえなかった。

 

奇跡というものを信じるか?

本人の意思によるものか、それとも何か別の力によるものなのか?それとも人間の脳が都合よく解釈しているだけなのか?

いずれにせよ、岳斗は優しい神様に最後の最後まで守られていた。

静かに横たわり眠る岳斗を棺に納める時が来た。

こうして抱いてあげられるのも最後。ずっしりと感じる重みを腕に焼き付けるために、その身を抱えたところで奇跡は起きた。

麻痺と硬直により固まっていた手足が柔らかくなり、まるで動き出すかのような躍動を感じさせるほど、体の力が抜けていたのだ。

冷静に考えても、全身の硬直が解けるには早すぎた。つい数十分前に斎場へと岳斗を連れて来た時には、1本の軸のように硬かったというのに。

妻が最も涙したのはこの瞬間だ。鉄のように硬く緊張した体を看病しつづけ、その癒しのために日々精を注いでいたのは他の誰でもない。抱き上げた瞬間に分かる柔らかさに、岳斗を知る誰もが奇跡を感じていたと思う。

ここ最近はそれほどまでに、緊張と麻痺が進んでいた。

今まさにすべての病による縛りから解き放たれ、本人なりに張っていた気が抜けたのだと思った。

本当によく頑張ったと2人を褒めたたえる以外にない。

家族葬+苦労と笑顔を分った友達だけのにぎやかなお通夜

岳斗だからこそ知り合えたかけがえのない友達。

障がい児学級で、いつも抱っこして遊んでくれていた先生も駆けつけてくれた。

岳斗にとってこれほど嬉しいことはなかったのではないだろうか。

お通夜とは静かなものだが、ともに笑ってきたバギー(子供用車いす)に乗った友達とお遊びが始まったようだった。

お通夜を終え、本当の最後の夜。

体の安らぎを取り戻し、親しんだ友達や先生に会えた岳斗の顔は、ポケッとしたいつもの自宅での表情から笑顔に変わっていた。

薄闇の中妻と二人で棺を挟み、3年ぶりに川の字になり、岳斗の顔を見ながら語り合った。

顔は安らかなままながら、私は微妙に変えていく表情をとらえていた。

最後にかすかに開いた口元は、本当に言いたかったと思う一言

「お母さん」と言っている口そのものだった。

最期の顔を見ると、岳斗の目にも涙が浮かんでいた。不思議なものだ・・・今までとうに目は乾ききっていたはずなのに。

 

ちょっとスピリチュアルな話。

師の一人に事情を打ち明けた。この業界で成長させてくれるきっかけにもなり、一緒に仕事している時も常に息子の調子を気遣ってくれた御人だ。

言葉少なく心中を察していただいたが、とあるメッセージをいただいたのだ。


人間は10万回生まれ変わります。

そして

10万回生まれ変わると
人間は
守護霊、天使になるのだそうです。

そして、

9万9千回以上生まれ変わり
もうすぐ天使になる直前の魂は

身体障害者や、
小さい子供のうちに早くして死んでしまう命を
選んで生まれてくるのだそうです。

今回、亡くなってしまった子は
間違いなく
天使です。

光のメッセージを伝えるために
一瞬の命をかけてやってきてくれた
天使です。

流産や早死にの子は
生まれ変わり10万回に非常に近い魂で
もう自分のことでは何も学ぶことはないので
周りの人に
気づきのメッセージをもってきてくれるために
一瞬だけ命をいただいてくるのだそうです。

メッセージを届けるためだけに
一瞬命をさづかってきた
光の天使なんです。

気持ちをこらえきれなかった。

翌日の葬儀において、僧侶も同じようなことをおっしゃられた。寿命は人それぞれすべて異なるが、その間生きてきた中で伝えるべきものの大きさは同じなのであると。

故人が残してくれたものの意味は何だったのか、それをどう生かしてこれからの糧にしていくかを考えることが、残された我々にとっての意義であり息子にとっての供養になるということだ。

教える人は異なれど、その本質は同じ。

生きる意味とは、変わること。そして変えてはならぬ価値を伝えていくこと。

 

思えば6年前、モヤモヤと全てがうまくいかず、ただ1日の終わりを望み、些細な金にやりくりを苦心して悩む日々だった。

息子が生まれた当初も身内との衝突は絶えず、今思えば何をしていたのだろうと、当時の愚かな自分を振り返る。

間もなく闘病の生活が始まった。

その中で彼が教えてくれたものが、私の生き方そのものを変えた。

もし岳斗でなかったならば、未だ私は荒んだ心の果てで得るものはなく、ただ日々をわがままに生きる愚体をさらし続けていたかもしれない。

息子は私を変え、家族のわだかまりを解き、新しい世界と心を教えてくれるために生まれてきてくれたのだと。

そして瓜二つで生まれてきた長女を見届け、安心して穏やかに役目を終えていった。

親として心残りなことは、正直言えば山ほどあってキリがない。

温泉にも浸からせてあげたかったし、車椅子に乗ったまま遊びにいくために新車買った直後だったし、美味しいものももっと食べさせたかった・・・。

しかし、結局それは親のエゴにすぎないのだろう。

少なくとも岳斗は、全てを伝え、全てを託し、全てに折り合いを付けられた今だからこそ安堵の表情で天に還ったのだ。

岳斗が生まれてきた意味は、私と妻と弟と妹がしかと受け取った。

息子の歩んだ6年は短いか?いや、その短さで人は大きく変われるし、幾ら積み上げても果てがないほどの大きなものを与えられることを証明してくれたのだ。

だから後悔したり、自分を責めることはしない。

私は決して忘れない。世界に誇る我が息子の生きざまと、私の中だけで今も燃え続ける意志を。